『拾遺都名所図会』〜昔の護国寺の風景〜real estate
往時、四千坪に及んだ護国寺は、江戸時代の天明七年(1787)に発刊された『拾遺都名所図会』巻之二に紹介されています。『拾遺都名所図会』は今でいう観光ガイドブックで、京都の名所を紹介しベストセラーとなりました。
境内地の中(三条通りと醍醐街道の交差点)には「馬場」があり、明治三十三年(1900)に廃止されるまで「護国寺の馬場」と呼ばれていました。また、護国寺は、多くの僧侶が修行する場所(山科檀林)から「だんじょ」と呼ばれ、文政二年(1819)には竹鼻村(現在の竹鼻竹ノ街道町)で三条街道に面する一軒の餅屋が商売をはじめ、明治元年まで「だんじょ餅」を販売していました。