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〜迷っても悟っても仏さまの中〜

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〒607-8080 京都市山科区竹鼻竹ノ街道町72
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寺宝 real estate

建造物

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総門

 護国寺で唯一、開創当時から残る欅造りの門です。
 開山の日勇聖人に深く帰依していた紀州徳川家二代藩主である徳川光貞とその妻、安宮照子(天真院殿)が願主となって建立されました。
 またその娘の台嶺院殿、伏見宮家の高厳院殿が施主として名前を連ねています。

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開山廟

当山の開山であり、勇師法縁の縁祖である法性院日勇聖人の御廟所です。また第二世であり、通師法縁の縁祖・寂遠院日通上人、第四世・発心院日堯上人の廟墓でもあります。


 

仏像

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久遠実成釈迦牟尼仏像

檀林時代から伝わる、お釈迦様の像です。厨子の中に安置されており、像の後ろには大曼荼羅御本尊が勧請されています。

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日蓮大聖人像

檀林時代から伝わる像で、本堂の向かって右に、お厨子の中に安置されています。当山では、日蓮大聖人のご命日の10月13日より立教開宗された4月28日まで、綿帽子をお掛けしております。

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日勇聖人像

檀林時代から伝わる護国寺を開かれた日勇聖人像です。本堂の向かって左に、お厨子の中に安置されています。日勇聖人は勇師法縁の縁祖でもあり、毎年ご命日の12月23日に、縁寺が集まりまして報恩の法会を厳修しております。

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妙見菩薩像

檀林時代から伝わる妙見菩薩像です。元々は北斗七星を神格化した菩薩で、日蓮大聖人も北斗七星を特別な星として見ておられました。ゆえに日蓮宗では妙見信仰が強く、護国寺でも昔は妙見堂が建立されていました。
 当山の妙見菩薩像にはおもしろい話が伝わっております。その昔、護国寺に泥棒が入り金品を盗まれました。ところが泥棒の夢の中に妙見菩薩が毎夜現れ、返すように告げられたそうです。恐れをなした泥棒は、金品と侘び証文を書いてお寺に返したそうです。それ以来、開運と共に盗難除け守護の妙見菩薩として深く信仰されています。

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弁財天女像

檀林時代から伝わる弁財天女像です。ある日、護国寺を開かれた日勇聖人の夢の中に弁財天女が現れ、日勇聖人を拝し、「私は昔、護国院に祀られていたこの地の地主神であります。この寺を復興し、法華経の法味を得ることができて、この上ない喜びであります。永くここに住して山門を鎮護し、あらゆる火難から守護しましょう。」と約束したと伝わっています。それ以来、智慧や文才、技芸、長寿を授けてくれるのはもちろんのこと、火難を防いでくれる弁財天女さまとして、厚く信仰されています。
 また、護国寺に伝わる伝記に「山号を了光山というのは、開基檀那である妙慧院殿了光日耀大姉から頂き、寺号を護国寺というのは弁財天女のお告げによる。護国寺が初めから護国の名前があるのは霊瑞感通のお陰である。」と記されておりますように、護国寺と寺号が付いたのは、この弁財天女さまによります。

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七面天女像

七面大明神とも言い、檀林時代から伝わっています。名前の由来は、鬼門を閉じて七面を開くゆえだそうです。日蓮大聖人が身延でお説教をされていた時、七面天女が現れ、「法華経を信仰する人を守護し、その者の願いを満足させます」と誓ったことから、日蓮宗では広く信仰されています。

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大黒天像

檀林時代から伝わる大黒天像です。日蓮宗では、鬼子母神と並び、法華経の守護神として信仰されています。また、苦行する仏教徒には穀物を与えるとされ、食料や厨房を司る神としての性格も持つようになったそうです。当山では、客殿に安置してあります。

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青木夫妻像

檀林時代から伝わる夫婦の像で、日蓮宗の碩学・六牙院日潮上人のご両親であります。青木夫妻は、護国寺に一切経蔵を寄進し、山科檀林の丹精護持につとめられました。


本尊・書状類


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日蓮大聖人書簡

日蓮大聖人の御真筆の断簡を格護しています。

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六老僧・日興上人書状

山科檀林時代から伝わる重宝で、第二世の日通上人が日蓮大聖人の書状であると認書をされてましたが、近年、六老僧の日興上人の書状断簡と判明致しました。日興上人が曽祢氏に宛てた書状で、内容は曽祢氏が供養した佩刀(はかし)という、貴人の帯びている太刀を御宝前に供えたから、よも大事になることはなかろうと、述べたものです。

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歴代本尊

開山の日勇聖人から、歴代の檀林化主の御本尊を格護しております。
開山  日勇聖人曼荼羅 4幅
二祖  日通上人曼荼羅 9幅
三祖  日令上人曼荼羅 2幅
四世  日堯上人曼荼羅 6幅
五世  日脱上人曼荼羅 1幅
六世  日啓上人曼荼羅 1幅
十一世 日厳上人曼荼羅 1幅

心性院日遠上人曼荼羅 4幅
久遠成院日親上人曼荼羅 1幅
寂照院日乾上人曼荼羅 4幅
池上本門寺 日詔上人曼荼羅 2幅
本山 妙傳寺 日健上人曼荼羅 1幅
日暁上人観心論場本尊 1幅
加藤清正公 一遍首題 1幅

その他多数

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書簡

歴代化主や、宗門先師の書簡・断片を格護しています。

二祖 日通上人書簡
十世 日亨上人書簡 一通
本山 妙傳寺開山 日意聖人断片
身延山久遠寺 日要上人書簡
(開山の日勇聖人のお師匠様)

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山科檀林文書

山科檀林時代から伝わる文書類です。修行僧の日課や、食事、授業料なども分かる貴重な資料です。また関西六檀林の会合資料も残っております。

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泥棒の詫び証文

その昔、当山に泥棒が入り金品を盗まれたことがありました。ところが泥棒はその日以来、毎晩おかしな夢を見たのです。それは夜な夜な夢の中に、妙見菩薩が現れ「護国寺に返せ返せ」と告げるのです。これには泥棒も恐れをなして、護国寺にすぐに戻って謝罪しました。その時、お寺に対して「侘び証文」を書いて二度としないことを誓ったそうです。



下賜金紋袈裟・什物等


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古襴裏菊紋七條袈裟

開山の日勇聖人が、時の天皇・後水尾天皇の皇后、東福門院から下賜された二領のうちの一つ。
東福門院が自ら縫われたと伝わっており、日蓮宗で初めての金紋を許された袈裟として大切に格護しています。

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日通上人 袈裟・座具

山科檀林第二世であり、通師法縁の縁祖である日通上人の七條袈裟、座具を格護しています。

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ご霊供膳

檀林時代から伝わるご霊供膳です。かなり大きく、護国寺の寺格が偲ばれます。自伝には、後水尾天皇の中宮、東福門院から供膳・金のお箸を下賜されたと伝わっていますので、詳しく調べる機会が待たれます。  

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版木

檀林で使用された教材の版木です。(画像は法華文句の版木)全部で百枚以上、格護されています。


肖像画・絵画等


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日勇聖人肖像画

檀林時代から伝わる開山の日勇聖人肖像画で、1849(嘉永2)年、第二百遠忌に際し、一地院日生上人が奉納されました。

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日通上人肖像画

檀林時代から伝わる山科檀林第二世・日通上人の肖像画で、堀之内妙法寺・第21世の日停上人が寄進されました。、

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天台・伝教大師肖像画

檀林時代から伝わるご天台・伝教大師の肖像画です。  

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雲龍図

檀林時代、方丈(書院)に掲げられていた雲龍図で、1859(安政6)年に滋賀県長浜・妙法寺禅味院日喜上人が再檀し奉納されたものです。大正年間に補装されております。

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釈尊涅槃図

長崎の本蓮寺から1684(貞享元)年に寄進されました。1851(嘉永4)年と1917(大正6)年に補装されています。

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尾形光琳 花鳥図

江戸時代の画師で、「琳派」と呼ばれる装飾的大画面を得意とした画派を生み出した始祖。当山には『花鳥図』が一幅あります。  

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円山応挙 春之若草 秋之実草

江戸時代の画師で、近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」のの祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色。当山には『春之若草』『秋之実草』と二幅あります。  

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西洞院時直 短歌

護国寺の開山である法性院日勇聖人の父親で、西洞院家27代目当主。後水尾天皇の側近、参議・従二位。歌人としても知られ、『参議時直卿集』が現存している。  

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四条髀p 短歌

護国寺の開基檀那である妙慧院殿了光日耀大姉の夫で、四条家16代当主。参議・正三位。