三菩薩号の勅賜を受けた大覚大僧正privacy policy
私達は日蓮大聖人のことを「日蓮大菩薩」と呼ぶことがありますが、それは今回紹介する大覚大僧正(だいかくだいそうじょう)の功績によります。
『画像は大本山 妙顕寺の大覚大僧正像』
大覚大僧正は、わずか九才で門跡寺院である大覚寺の跡を継ぐほどの名門の出自でしたが、一七才の時、京都を開教された日像聖人(にちぞう)の説法を聞き感化され、門跡の地位を捨て、自ら日像聖人の弟子となり妙実と名付けられます。以来、布教に力を注がれ近畿南部や関東、中国地方にも足を伸ばされ「備前法華に安芸門徒」と言うように、特に岡山県ではそのほとんどが日蓮宗に帰依する程の礎を築かれます。
日像聖人から大本山 妙顕寺の二世を継がれると、朝廷から京都を悩ませていた干魃(かんばつ)の祈雨を命じられ、法華経・お題目を読誦し、見事に慈雨を降り注がせました。この功績により、日蓮大聖人に「大菩薩号」、日朗聖人・日像聖人に「菩薩号」、自身も「大僧正」の位を賜り、ここから日蓮大聖人のことを「大菩薩」の称号をつけてお呼びするようになりました。
今年(平成25年)、大覚大僧正がお亡くなりになって650年目の節目を迎えます。京都でも大覚大僧正に深いご縁がある、本山で遠忌法要が執り行われ、特に大本山 妙顕寺では、千家による献茶、また伎楽も奉納される大法要が厳修されます。
大覚大僧正の功績は、三菩薩号の勅賜のみならず、師の日像聖人を助けて宮中や幕府へ法華経の教えを説き、妙顕寺を天皇の勅願寺、幕府の祈願所にすることに努めるなど、日蓮宗を朝廷や幕府が公認する教団へと高めたことがあげられます。そのご生涯で開山された寺院は40ヶ寺を越え、貞治三年(1364)4月3日、68才のご生涯を終えられました。