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〜迷っても悟っても仏さまの中〜

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伊豆法難と宝塔偈privacy policy


 5月12日は、日蓮大聖人が伊豆に流罪になられた「伊豆法難」の聖日です!
 伊豆法難(いずほうなん)とは、1261(弘長元)年の5月12日に日蓮大聖人が鎌倉幕府によって逮捕され、
静岡県の伊豆に配流された難を言います。
 その背景には、鎌倉幕府への『立正安国論』の上申があると言われています。『立正安国論』は、念仏(法然浄土教)への激しい批判が書かれており、それに対し、念仏者達は
松葉谷の草庵を襲い、日蓮大聖人を亡き者としようとしました!
 さらに、鎌倉幕府へ訴えたため、日蓮大聖人は捕らえられて、静岡県・伊豆の伊東へ流罪にしたのです。
 鎌倉の由比ヶ浜から、船で伊豆へ流される時、お弟子の
日朗(にちろう)上人との涙の物語が今でも伝わっています・・・。

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「お、お師匠さま〜!」
「ええい、小僧!船から離れろ!」
「お願いです!この私も一緒に伊豆にお流し下さい!」
「聞き分けのない奴じゃ、こうしてやる!」
バキッ!辺りに鈍い音が響きました。役人が船の櫂で小僧さんの手を打ったのです…。
 時は弘長元年五月十二日、日蓮大聖人は世間を騒がした罪で鎌倉幕府から伊豆流罪を申し渡されます。鎌倉由比ヶ浜より、大聖人を乗せた船が伊豆へ向かって出立しようとした時、弟子の日朗上人が駆けつけて参ったのです。
 この日朗上人、いつも大聖人の側から離れずご給仕したので「給仕第一」と称されたほどの方です。後に六老僧の一人として日蓮宗門を背負っていくことになります。
「日朗よ、日朗よ!伊豆と鎌倉は遠くと言えども、海で繋がっている。太陽が昇る時を見ては、日朗無事なりと祈ります。太陽が西に傾く時は、日蓮伊豆にありと思いなさい…。また合う日までその身を愛せよ!」
 大聖人の涙がらの声が辺りにこだまします。
「お師匠さま!お師匠さま〜!」
波打ち際で手を砕かれた日朗上人、声を限りに呼び続け、船縁に立たれた大聖人も涙の声でお題目。
「此経難持、若暫持者、我即歓喜〜」
 周りにいた人々が自然と宝塔偈の経文を口々にします。その声は波に揺られ、一句は縮まり、一句は伸びて聞こえて来るのでした。

 今、私たちが口にする
宝塔偈。独特な節でお読み致します。それは大聖人の伊豆流罪の際に、皆が読んで聞こえた宝塔偈が始まりだそうです。
伊豆流罪