本文へスキップ

〜迷っても悟っても仏さまの中〜

電話でのお問い合わせは075-581-1215(9時〜17時)

〒607-8080 京都市山科区竹鼻竹ノ街道町72
e-mail. gokokuji5594@yahoo.co.jp

十如是の意味は何ですか?privacy policy


十如是(じゅうにょぜ)は、法華経の方便品第二に説かれる物事のありさまを指し、十如・諸法実相とも呼ばれます。天台大師は、ここから仏法の極理である一念三千という教学をたてました。
日蓮宗では、「空・仮・中」の三諦(さんたい)の意味をこめて、三回繰り返して読誦します。

(原文)
所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。

(直訳)
その有様は、あらゆる存在がこのような相と、あらゆる存在の根底となる不変の本性と、このような本体と、このような潜在的な力と、このような働きと、このような原因と結果、このような間接的原因と結果、そうしたことどもが、それぞれ平等にかつ緊密に結び合っているのである。



(もっと分かりやすく)
どんなものにも本体・実体がある。美空ひばりだったら「美空ひばり」という「本体」がある。これが「体」。そしてひばりにはあの人独特の性質がある。これが「性」です。更にあの人独特の「形」「姿」がある。それが「相」です。「性」は内に持つ性質「相」は外にあらわれた相(すがた)。どんなものにも、本体と性質と相貌の三つを具えている。こうして「体」である美空ひばりさんが、ひばりさんならではの「性」を持ち、あの人独特の「相」があれば、それがもとになってひばりさんならではの「力」を生じます。多くのファンを魅了させることができる、といった力です。これが「力」です。しかしこの「力」もただ持っているだけで眠っていたのではそれまでのこと、目には見えません。努力によってその「力」が外に現れたとき、「力」が外に向かって動き出したとき、その「力」は実際に発揮されて、目に見える「作用」「はたらき」を生みます。これが「作」です。ひばりさんの場合、持っていた「力」が実際に発揮されて、多くのファンを感動させる、という「作」がはたらいたのですね。
 このように、はたらき・作用である「作」が実際に活動して発揮されれば、そのことによって当然、周囲や自分に変化をもたらします。ひばりさんの場合、周囲の多くの人たちの心を引きつけたり、映画館に足を運ばせたりと。もちろん自分自身もそれによって飛躍していく。この、変化をさせる「もと」が「因」であり「縁」であるわけです。自身を変化させるもとが「因」で、他を変化させるもとが周囲にとって「縁」となるわけです。自分の方を主体にすれば、逆に周囲が自分にとって、「縁」ですね。ファンがひばりさんを変えたように。
 この「因」と「縁」によって変化したという「結果」を生じます。これが「果」であり「報」であるわけです。「因」の結果を「果」といい。「縁」の結果を「報」と言っているようです。
 次に「本末究竟等」です。本末の「本」は最初の「相」、「末」は終わりの「報」と思って下さい。要するに「相」から「報」までの全部が別々にあるのではない。首尾一貫して一体なのだということ。これが「本末究竟等」です。「本末が究竟して等しい」と読めればいいでしょう。
 例えばひばりさんの場合、「人々を魅了して多くのファンを獲得した」「映画や歌謡曲の歴史を作った」という「果」という実績が、逆に「因」となって、さらに大スターとしての地位を不動のものとする。つまり「体」自分自身を変化させる。そのことが一層自分の「相」ルックスや「性」性格に磨きをかける。人の姿や性格は、その人の境遇によって随分変化しますよね。
 つまり、これら十如是はお互いに深く関わり合って一体である。これが「本末究竟等」になるのです。

参考文献・引用
瀬野泰光:著
「お題目がわかる本」より