A、先日、お檀家さんからこのような質問を受けました。
「お上人、日蓮宗の御本尊はお釈迦さまですよね。なぜ法事や、勤行の時に南無釈迦牟尼仏と唱えず、南無妙法蓮華経とお唱えするのですか?」
確かにこの質問は誰しもが思うことかもしれませんね!では答えはと言うと…。
お題目と、お釈迦さまの意味合いが違うからです。
私達は病気になった時、病院に行きますが、お医者さんに
「先生!先生!」と言っても病気は治りません。先生が出してくれた薬を飲む事で、はじめて病気は治ります。
法華経の『如来寿量品第十六』には「良医治子の譬え」が説かれていますが、お釈迦さまが良医。すなわち先生であり、その先生が出す薬こそが「南無妙法蓮華経」のお題目であると説かれています。
そしてその薬を私達は取って服さなければなりません。
是好良薬 今留在此 汝可取服 勿憂不差
〜是の好き良薬を今留めて此処におく。汝取って服すべし。差じと憂うることなかれ〜
(意訳)このお題目という、大変良い薬を留めておくので、あなたはこれをとって飲みなさい。治らないと憂れうことはありませんよ。
だから、いくらお釈迦さまが御本尊でも、お釈迦さまがお題目「南無妙法蓮華経」を唱えなさいと言われているのですから、私達は素直にお題目を唱えなければなりませんね。
そして最後に、お釈迦さまを含め、全ての仏さまは、このお題目によって仏に成れたと説かれています。ですから成仏の根本であり、万病の良薬を私達は一生懸命お唱えしているのです。
※注意。 南無釈迦牟尼仏と唱えてはいけないという事ではありません。